村上龍の『オールド・テロリスト』、超高齢化社会において組織化された高齢者たちが残忍なテロを次々と起こします。『希望の国のエクソダス』は同じコインの表裏のような関係性にあります。中学生たちは集団不登校や自治を目指し、高齢者たちはテロを起こします。行動は違えど、これからの社会における具体的なビジョンが見えない「絶望」や「閉塞感」が根底にあります。 自らが「異なる環境に身を移す」のか「環境自体を変えてしまう」のか、その違いだけのように思います。テロリストの中核でもあるミツイシが終盤に「大事なことは自分であり続けること」と説きます。大多数の人々がそう思いながらも、結局は周囲に迎合するような生き方をし、その象徴としてメディアもそれを助長している。「リスク」をとことんに嫌う日本社会、一方ではリスクを冒すことでしか、リターンも得られないことが議論の中から抜け落ちているのも事実でしょう。抜本的な変化を必要としながらも、手を加えることができない日本社会。高齢者のテロはその「歪み」として捉えるべきではないでしょうか。
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