村上龍の『歌うクジラ』、難解な設定ではありますが、全てが論理的な「もしも」の上に構築されていて、とても示唆に富んだ作品でもあるし、SFとしても良質です。全てが「情報を持つ者たち」、換言すれば既得権益層が描いたテーブルの上で民が動いていると考えるのは、とても現実的な現代社会の描写であり、タナカアキラが情報を基に数々の修羅場を切り抜ける姿は生きる上での「情報や選択肢を持つこと」の大切さを表現していると感じます。上層社会の人々が社会を統治する上で階級分けを行い、その情報を遮断し、果ては自力で生きられる人間の数が極端に減った世界が作り上げられたのは皮肉ですが、タナカアキラが「生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。」と人と人自身が他者と関わろうとする姿勢に真理を求めたのはとても自然な印象を受けました。SW遺伝子も科学の発展を基に作られてはいますが、結局は人間のエゴであり、社会の仕組みや人間の心理メカニズムを表現した、「人間的」な作品だと感じました。
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