『十字架』

重松清の『十字架』を通じ、簡単に言葉では表現できないような、様々な感情を覚えました。いじめを通じて自殺したフジシュンこと藤井俊介と、特に思い当たる理由もなく、遺書に名前を書かれた真田裕の視点を通じて過去から現在へ、その時々での感情を丁寧に言葉にしながら、進行していきます。作中では「想像力」や「立場」という言葉を思い浮かべます。自殺したフジシュンも、中川小百合も、記者の田原も本多も、フジシュンの弟の健介も、お母さんも、もちろん「あの人」も、真田裕の視点と読者の視点を重ね合わせながらも、同情したり、理不尽に思えたり、怒りを覚えたり、様々な感情を覚えます。ただ、相手の立場に立って「想像」するだけで、本当の意味でその立場を取って代わるようなことはできない、「十字架」を背負えないのだと改めて、感じます。それと同時にそれぞれが自分たちの「十字架」を背負っていることも忘れてはいけない気がします。作品に大きな深みを感じるのは、自殺をした少年の周囲を描いた話以上に、人間の生き方や姿勢、幸福や理不尽さ、何よりも矛盾を丁寧に描いたことに価値があります。計ることができない、人間の生き死にの大きさを実感させてくれる作品です。

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